「同じ3Hなのに差が出ない」― 引掻き試験で傷つきにくさを数値化【摩擦相談室 カルテNo.2】

摩擦測定の「現場のつまずき」と解決までの道筋を、カルテ形式で紹介する連載です。実際に寄せられた相談や測定で得られた知見をもとに、個人や企業を特定できないよう再構成しています。登場人物、数値、グラフの一部は説明用の架空・模擬データです。実際の結果は、材料や試験条件によって異なります。 摩擦相談室 ― 表面性測定機による摩擦測定のイメージ

【相談内容】「鉛筆硬度は同じ3Hなのに、傷つきにくさが明らかに違うんです」

相談者は、ハードコートフィルムを開発する化学メーカー・研究開発部門のBさん。2種類のフィルムサンプルを持って来られました。 「新しく開発したハードコートは、従来品より明らかに傷つきにくいんです。ラボで擦り比べれば誰でも分かるレベルで。ところが鉛筆硬度試験ではどちらも3H。同じ評価になってしまう。客先に『改良しました』と言っても、数値が同じでは説得力がありません。この差を、どうすれば数値で示せますか」 「性能は上がっているはずなのに、いまの評価方法ではその差を捉えられない」——研究開発部門から非常に多くいただく相談です。

【問診】鉛筆硬度試験は何を測っているか

鉛筆硬度試験(JIS K 5600-5-4)は、規定の角度45°・荷重750gで、硬度の異なる鉛筆の芯を塗面に押し付けて引っ掻き、傷が付くかどうかで塗膜の硬さを段階評価する方法です。簡便で広く普及しており、規格試験としての地位も確立しています。 ただし、差を「見分ける」観点では、構造的な限界が3つあります。
限界内容
1. 段階評価である評価軸が鉛筆の芯の硬度刻み(…2H、3H、4H…)しかない。「3Hと4Hの間」の性能差は原理的に表現できない
2. 荷重が一定である規定荷重で傷が「付くか・付かないか」の二択判定。どのくらいの余裕で耐えているかは分からない
3. 判定が人に依存する傷の有無の判定は目視。判定者や照明条件で結果が揺れることがある
Bさんの2品は、鉛筆硬度という物差しの上では同じ目盛りに収まっています。ここで必要なのは、鉛筆硬度の目盛りを細かくすることではありません——実は、それはできません。必要なのは、傷への耐性を別の角度から捉える、もうひとつの比較指標を追加することです。

【処方箋】連続加重式引掻き試験 ― 傷が付く瞬間の荷重を「連続値」で捉える

原理:荷重を増やしながら1回で引掻く

連続加重式引掻き試験は、圧子(引掻針)にかける荷重をゼロから連続的に増加させながら試料表面を引掻く方法です。荷重が小さいうちは塗膜が耐えていますが、ある荷重を超えた瞬間に塗膜が破壊され、傷が発生します。 この「傷が発生し始める荷重」を臨界荷重と呼びます。塗膜が破壊されると圧子の抵抗が急変するため、摩擦力の波形にも明確な変化が現れます。目視に頼らず、波形から傷の発生点を客観的に特定できるのです。連続的に荷重を増やしながら引っ掻く方法は、塗膜の規格では ISO 1518-2(荷重漸増法)にあたります。機能性フィルムの JIS K 7317 は、おもりを10g刻みで変えながら繰り返し引っ掻いて「傷が付かない最大荷重」を求める段階加重の規格ですが、傷の発生荷重を数値で捉えるという考え方は共通です。 連続加重式引掻き試験による臨界荷重の比較 ― 従来品62g、改良品78gで摩擦力が急変(模擬データ)

大事な注意:鉛筆硬度の「細分化」ではなく、「別の物差し」です

ここでひとつ、正確に理解しておきたいことがあります。連続加重式引掻き試験は、鉛筆硬度試験の分解能を上げたものではありません。 鉛筆硬度は、鉛筆の芯という「面のある接触子」で塗面を擦り、芯の硬度段階で判定する試験。連続加重式は、先端の丸い針の「点接触」で傷の発生荷重を探す試験。接触の形も、塗膜の壊れ方も異なる、まったく別の試験です。二つの試験の順位が常に一致する保証もありません。 だから「3Hを62gと78gに細かく分解した」のではなく、「鉛筆硬度では同じ評価だった2品に、別の物差しを当てたら差が見えた」——これが正確な理解です。そのうえで、比較指標としての臨界荷重には次の特長があります。
鉛筆硬度試験連続加重式引掻き試験
測っているもの鉛筆芯(面のある接触)で擦ったときの塗膜損傷針(点接触)で引掻いたときの傷発生荷重
評価軸段階(…2H、3H、4H…)連続値(荷重 g)
判定目視(人に依存)摩擦力波形の急変点(客観的)
得られる情報合否(付くか付かないか)臨界荷重=比較のための連続値
試験回数硬度の数だけ繰り返し1回の走行で決定可能
※ 別の試験である以上、実際の製品でどちらの壊れ方が問題になるのか(芯のような面で擦れるのか、点で引っ掻かれるのか)を意識して、用途に近い方を軸に据えることが前提です。

測定条件の考え方

・引掻針の選定:樹脂やコーティングなど比較的柔らかい材料にはサファイア針、金属・セラミックスなど硬い材料にはダイヤモンド針を使い分けます。針の先端半径によっても臨界荷重の絶対値は変わるため、比較試験では必ず同一の針を使用します。 ・荷重範囲:まず粗い範囲(例:0〜100g)で臨界荷重の当たりを付け、必要なら範囲を絞って分解能を上げます。薄膜では低荷重レンジ(1〜50g程度)が必要になることもあります。 ・複数回測定:臨界荷重にも当然ばらつきがあります。場所を変えてn=3〜5回測定し、平均と範囲で報告するのはカルテNo.1と同じ原則です。

【経過】「同じ3H」に16gの差が付いた

Bさんの2品を荷重変動型摩擦摩耗試験システム(HHS2000S)の連続加重モードで測定した結果が、上のグラフです(数値は再構成したものです)。 従来品は62g、改良品は78gで塗膜破壊による摩擦力の急変が現れました。鉛筆硬度では同じ「3H」だった2品に、別の試験による比較指標として、+16g(約26%)という明確な差が数値で示せたのです。 Bさんはこの結果を、「鉛筆硬度3H(JIS K 5600-5-4)に加え、連続加重式引掻き試験による臨界荷重78g(針種・速度・n数併記)」という形で、両方の試験名を明記して技術資料に記載しました。客先への改良説明は一度で通り、開発の現場では「配合を変えるたびに臨界荷重を測る」という改良サイクルの指標としても機能し始めています。

【カルテのまとめ】傷つきにくさ評価のチェックリスト

チェック項目基準
評価の位置づけ規格・慣習上の判定は鉛筆硬度、差の定量化には臨界荷重を「追加」(置き換えではなく併用。両者は別の試験)
引掻針柔らかい材料=サファイア針、硬い材料=ダイヤモンド針。比較は同一針で
荷重範囲粗い範囲で当たりを付けてから絞る。薄膜は低荷重レンジ
判定方法摩擦力波形の急変点+傷跡の観察で確定
測定回数場所を変えてn=3〜5回、平均と範囲で報告
報告の書き方「臨界荷重◯g(針種・速度・n数を併記)」で再現可能な形に

【相談室の機材】荷重変動型摩擦摩耗試験システム HHS2000S/HHS3000S

荷重変動型摩擦摩耗試験システム TYPE:HHS2000S/HHS3000S 今回のカルテで使用したのは、荷重変動型摩擦摩耗試験システムTYPE:HHS2000S/HHS3000Sです。 ・連続加重と固定荷重をタッチパネルで切り替えでき、臨界荷重の決定までを1個の試験片・1回の測定で行えます ・HHS2000Sは1g〜1000g(低荷重・高荷重ユニット)、HHS3000Sは100g〜10kgと、薄膜から構造材まで幅広い荷重域をカバーします ・摩擦力に加えて変位計による引掻深さの測定が可能で、傷の発生を波形と深さの両面から客観的に判定できます もう少し手軽に連続加重式引掻き試験を始めたい場合は、専用機の連続加重式引掻強度試験機 TYPE:18/18Lもございます。 「うちのサンプルで臨界荷重が出るか試したい」——そんなときは、当社の受託試験をご活用ください。実際のサンプルで針種・荷重範囲を最適化し、社内評価に落とせる形でご報告します。 次回予告:カルテNo.3「そのビビリ音、摩擦のせいです ― スティック・スリップの正体」。ゴム部品のきしみ音に悩む自動車部品メーカーの相談に、摩擦波形の「振れ」から答えます。

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